日本の旅とその歴史の背景13の2
新規投稿者 三木 伸哉  投稿日 08/6/25(水) 11:15:29  返信も含め全削除
震災後の神戸の見事な復興
私は2003年11月29日に、生まれてはじめて神戸の街を訪れた。この日の日記にこう書かれている。
「朝9時、Yさん(中国同期派遣)が迎えに来てくれた。二人でループバスに乗り、雨の中を回り始めた、最初は阪神淡路大震災の記念館を訪問した。その年に建てられた大震災を追体験できる場所である。
震災を再現する映像と轟音、大地震の揺れの体験、15才の少女のナレーションが見事であった。南京街でビールと紹興酒を飲み歓談、その後異人館を訪ねた。
 
震災から8年経っていた。三宮もどこもかしこも震災の瓦礫も、その爪痕さえ感じないほど見事に復旧していた。まだまだ日本は大丈夫だという思いであった。
震災記念館で味わった体験は忘れがたい。追体験の実験でもあれほどの衝撃であったから、あの日あの時、大震災に遭われた人たちの驚き、恐怖、哀しみはどれほどであったろうか。
15才のナレーションの少女の、「瓦礫を走り回っている犬が一匹おります。家の人がみんな埋もれてしまったのでしょうか。何時間も同じ場所を探し回っているのです」と言う声が胸に響いた。また「あなただけでも助かって、速く逃げて」という姉の言葉が最後であった、と言う声も。

「世界にただ一つの神戸」という言葉を、司馬遼太郎が書いている。この震災の時の、この極限状態のときも、神戸の人は理性を失わず、自立した市民は、行政の立ち後れを罵ることも少なく、ああ無理もない、こんな時には市民がみんな力を合わせて、立ち上がるしかないと言う意識が、市民の共通項になっていた。
成熟した神戸市民は、やがてこの街を見事に再現するであろう。優しい心根にたった神戸の市民が、灰燼の中から復興して来るであろう。世界にただ一つの神戸だから」と「街道を行く」で語っている。

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