日本の旅とその歴史の背景 14(神戸は世界一)の2
新規投稿者 三木 伸哉  投稿日 08/6/30(月) 08:51:43  返信も含め全削除
神戸の港と異人館界隈
江戸時代、神戸は砂地の多い小さな村に過ぎなかった。1868年の開港とともに数多くの外国人が住むようになった。江戸時代にはどの街にも城下町があったが、この神戸には城下町はない。
安政6年(1859年)横浜の開港が、日本では一番早い事になっているが、日露戦争のあと、明治40年(1907年)原内相は、全国770あまりの港湾に等級をつけた。第一種から三種まで、港はもちろん貿易が主な業務であるが、諸外国との、情報の入手の最先端のところとして機能していた。
その等級によると、第一種港湾(国家経営)は、横浜、神戸、関門海峡そして敦賀の4つの港である。神戸はこの当時から国家経営によって、港湾が維持されてきた。第2種は地方と国家の折半、第3種は地方のみで経営するという方式、日露戦争で国家予算を使い果たした当時の日本、港湾の維持も火の車であった。
 
友人と二人で異人館界隈を散策したのは、もう四時を回っていた頃であった。
異人館の屋根越しに海が見える。神戸港の開港いらい、外国人が多く暮らしてきたこの界隈、華僑の豪邸や洋館、さまざまな宗教の教会や寺院も見える。
異国情緒たっぷり、洒落た店が多い。新神戸オリエンタルシティを通り過ぎたところに、新神戸のロープウエイのゲートがあり、北の遊歩道の入り口。
ここを出ると異人館めぐりの始まりである。異人館めぐりも好いけれど、一つ一つの建物に四〇〇円以上の入館料を取られることが分かり、年金生活のしがない退職老人には、全部入館することは諦めた。
 この異人館界隈にも、大震災は押し寄せたのであろう。しかしその影はどこにも見られず、異人館の奇妙な屋根のシルエットの向こうに日が落ちていった。

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