新規投稿者 三木
投稿日 08/7/16(水) 05:39:17
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小林 多喜二の碑文を訪ねて
小林多喜二は、「蟹工船」「不在地主」の著者、プロレタリア文学者として、人口に膾炙されているが、いまの若い人達は、彼の名をどの程度知っているであろう。
1933年(昭和8年)2月に、東京築地書の特高に逮捕され、拷問をうけて死亡した。体は紫色に腫れ上がった。小林の家に集まった者は、警察に検束されていき、拷問のすさまじさは、昭和の初期の我が国のファッシズムの、容赦のしない官憲の仕打ちとして現れたのであろう。
この文学碑は旭展望台にある。彼の死後31年を経て、1964年、多喜二の同窓生が発起人となって期成会を発足させ、募られた資金で建立された。
碑容は本郷新の設計、銅板の左に青年労働者の頭像をはめ込み、碑文は獄中から、村山知義の妻に当てた手紙の一部だという。
碑文の内容
冬が近くなると、ぼくは懐かしい国のことを考えて
深い感動に捉えられている そこには運河と倉庫と税関と
桟橋がある そこでは人は重っ苦しい空の下を どれも
背を曲げて歩いている ぼくは何処を歩いていようが
どの人をも知っている 赤い断層を処々に見せている
階段のようにせせり上がっている街を
ぼくはどんなに愛しているか分からない
碑文の内容はもちろん小樽の街、小樽の人達を恋しく思う内容である。どんな無念な思いで、30歳の若さで命を絶たれたか。治安維持法下の暗く重苦しい時代が蘇ってくる。
日本のプロレタリア文学は、小林を失って急速に崩壊していった。
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