新規投稿者 三木
投稿日 08/8/4(月) 09:44:17
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日本の旅とその歴史の背景 18(小樽文学散歩4)
啄木の歌碑 1
享年27歳、薄倖の数奇な運命のもと、この天才は短い生涯を終えた。啄木が北海道で過ごした時代は短いが、この北海道での生活の辛苦の中から生まれ出た、生活派の詠風は、まさに北海道で生まれ、育ったものであろう。
野口雨情に教わりながら、ジャーナリストとして出発した。母親と妻との壮絶な戦いを知りながら、時代が次第に社会主義の萌芽が見られるとき、啄木もまた評論に、小説に、その社会主義に傾斜していく姿が見られる。
下記の歌は後年、小樽の街に啄木の歌碑を建立するとき、小樽市民が一番歌碑に残したいと願ったうたであるという。
かなしきは小樽の街よ歌うこと なき人たちの声のあらさよ
啄木の歌碑 2
子を背ひて雪の吹きいる停車場に われ見送りし妻の眉かな (駅前三角市場)
啄木が東京本郷で短い一生を終えるまで、大勢の人達に恩顧をうけながら、その薄倖の生涯を送った。
例えば金田一京助は、啄木にどれほど金の無心をされたか分からない。
返されるあてもないまま、京助は啄木を助けた。
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