新規投稿者 三木
投稿日 08/8/20(水) 10:38:51
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日本の旅とその歴史の背景 19(軽井沢あさま山荘1)
いまだ破られない視聴率ナンバー1
この軽井沢に宿泊したことはない。バスで通過したに過ぎない。もし1972年2月19日にこの土地にいたなら、河合楽器の保養所において連合赤軍が起こした事件を、現場で見ることができたかもしれない。
この日、私は北見滝上という片田舎で、10時間40分に及ぶ特別番組、視聴率日本記録の浅間山荘攻防戦を見ていた。平均視聴率50.8%、人質救出の場面では90%にも及んだTVの視聴率記録はいまだ破られていない。それだけ日本全国民の耳目をあつめた、大事件であった。
事件の発端は、当時連合赤軍は栃木県の銃砲店を襲って、銃と弾薬を手に入れて、逃走を繰り返していた。それを警察が追っていたのであった。
警察に追われた連合赤軍のメンバーは、群馬県の山岳地帯の「榛名山ベース」を構え、潜伏しながら仲間の壮絶な「総括」と呼ばれる粛清を繰り返していた。
連合赤軍のメンバー(坂口 弘、坂東国男ら5人)は、管理人の妻を人質に10日間にわたり、この山荘に立てこもった。まだ当時のテレビの映像の凄まじさが蘇ってくる。特に最後に山荘を破壊する巨大な鉄の球体が、山荘を打ち壊していく映像が瞼にうかぶ。あれを指揮していたのは佐々淳行。いま国民新党の代表である亀井静香氏も、警察官として現場にいた。
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