新規投稿者 三木
投稿日 08/8/20(水) 10:40:52
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人質になった、まだ若い保養所の管理人の奥さんの救出を、どうするかが最大の懸案事項であった。機動隊が二人狙撃されて命を落としている。彼ら日本赤軍の5人の命を奪っても、仕方がないとの方針であったようである。
厳密な情勢分析、人質の在所、犯人達の潜伏している部屋を突き止め、一斉突入の命令により、人質の救出、犯人の全員検挙、10日間におよぶ攻防は終わった。
坂口 弘の獄中生活と短歌
あの事件から今年(2008年)から36年経過した。私は連合赤軍の中でも最も過激な行動をとったと思われる、坂口 弘の刑務所内で詠んだ短歌の数首にスポットを当て、処刑されるまでの心の裡の移り変わりを探っていきたい。札幌市の山の手図書館のなかに、ぐうぜん彼の歌集「坂口 弘」歌稿(朝日新聞社)を見つけた。獄中生活21年という長い歳月、短歌という短詩型文学に、己を表現する過程の中で、どう心が変わっていったのか、極左思想の彼のことばがどう変わっていったのか、探ってみたい。
さいわい短歌を詠んで、かなりの年月を経ている自分にも、大変勉強になると思った。坂口 弘は、最初保護司をしておられた青木郁男さんに作歌指導を受けている。青木さんが述べられているように、最初の短歌は、それまで使っていた左翼用語の頻発で、およそ短歌の体裁をなしていなかった。与えられた西行の歌集などを参考にしながら、歌らしいものが詠まれていく。
彼の短歌は、後に歌人佐々木 幸綱の指導も受けるようになり、朝日新聞の「短歌の欄」にも掲載されるようになった。
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