日本の旅とその歴史の背景 26(まず長崎から2)の1
新規投稿者 三木 伸哉  投稿日 08/12/13(土) 14:17:44  返信も含め全削除
日本の旅とその歴史の背景 26(まず長崎から2)
大航海時代から長崎は南蛮人のメッカ
南蛮人(普通ポルトガル人をさしていたが、スペイン人も)はJAPAN(ヤポン)を目指し季節風に乗った帆船でやってきた。みはるかす洋上に姿を現したのが長崎であった。
1580年から8年間、長崎はローマ法王の領であったという。
 長崎にあった古寺を改造して長崎最初の教会を造ったのが1569年、イエズス会の本部が出来て、岬に建てられた。キリシタン知行時代の宗教、政治の中心になっていった。45の教会、3万人以上の信者、平戸の17の教会と3500人の信者、五島列島の2000人など秀吉、徳川のキリシタン弾圧により、南蛮文化の芽も消えていく。
 
「みなさん、あれが浦上天主堂です。京都から連れられてきた二六人のキリシタン、なかにはまだ一二,三才のいたいけな少年達もいたのです、処刑するにはあまりにも可哀想、改宗を迫っても少年達は自ら処刑される方を選んだのです」
ガイド嬢のことばはますます熱を帯び、バスの中は粛然となる。
 

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