新規投稿者 三木 伸哉
投稿日 09/1/28(水) 09:37:59
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日本の旅とその歴史の背景 31(高千穂へ1)
指宿温泉の砂湯
知覧から二〇分も走ったろうか、バスは今晩の投宿の指宿温泉に到着した。添乗員さんが詳しく砂湯の入り方というか、砂をかけられてからの身のおきどころ、
身の処し方などの注意を語り始めた。
「心臓のあまり丈夫でないかたは、予め砂をかけるオジサンに申し出てください」
出発前、心臓を診てもらい、「ダイジョウブ」のお墨付きを戴いているので、心配はなかったが、「あまり心臓が強くないので、少なめに砂をかけてください」と言ったら、本当に人様の半分にも満たない砂をかけられた。余分なことは言わなければ良かった。ヒリヒリするような臀部を浮かし浮かし、一五分ほどの砂湯体験は終わった。
少年の頃、網走館内の屈斜路湖の「砂湯」を体験したことがある。「キャンプに行った高校生時代、湖畔に穴を掘り頭だけ突き出して四,五人砂湯につかっていたら、「いま、皇室の義宮さまがみえられる」というアナウンス。こちらにぞろぞろ随行のかたも集団で押し寄せてくる。皆いっせいに砂風呂から起き上がり、湖で体を洗い、並んでお迎えした。しかし我ら少年達はみな赤フンであった。
世が世であれば「お前達、いやしくも皇族の方々を、赤フンでお迎えするのは不届き千万である。一歩前へ出ろ」と言われたであろう。終戦から八年経っていた時であった。
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