日本の旅と歴史の背景 32の2
新規投稿者 三木 伸哉  投稿日 09/1/28(水) 09:40:37  返信も含め全削除
高千穂の峰々へ
東国原知事は「宮崎に高速道路がない。高速道路がないのは宮崎だけ」と宣っていたが、部分的にはあるようで、全県を貫通するような高速はないであろう。
 さて宮崎県の北部にある高千穂峡へと向かった。平家の落人の所でも書いたけれど、この宮崎と熊本の県境は、南の太陽と緑のくに、日南海岸とは全く趣が違う。鬼の洗濯岩、椰子の木々が窓の外を飛んでいったが、ここは山また山の北部である。宮崎はじつに広い、広大な感じがする。
 九州の屋根、熊本の県境の奥日向の付近を通って高千穂を目指す。
「ひえつき節」「刈干切り歌」で知られる奥日向である。ガイドの説明によると、この地で若山牧水が生まれたそうである。

「幾山河越え去りゆかば寂しさの 果てなむ国ぞけふも旅ゆく」は好きな歌でよく揮毫して、友人たちにプレゼントする。牧水の歌に
「山に生うる木々は美しみな親し やきて作れるこの炭もまた」というのがある。
宮崎県人が誇りとする牧水は、この奥日向の坪谷で生まれた。上の歌にあるように、良質の木炭を産出した。この地方の炭は火持ちの良い備長焼きで叩けば、
「カーン、カーン」と金属的な音がするという。

千古の昔から鬱蒼たる原始林のなか、やがて人が住み着き、炭焼き小屋が立てられ、木炭を生産し、平家の落人もくらし始めた。
山奥深く、木寄せ人夫たちが大きな声を発しながら、その声が山々に谺して、さながらミュージカルのような牧歌的な響きが、木々に、谷底に鳴り響いていたのであろう。

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