新規投稿者 三木伸哉
投稿日 10/11/5(金) 17:14:13
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旅順からの「坂の上の雲」17
登場するさまざまな人物像(秋山 真之)
2009年の5回のNHKの放送内容では、この秋山真之の描写がもっとも生き生きと描かれ、その人となりの成長の過程、貧しい暮らしから、アメリカへの留学、松山の親友、正岡子規との交友の深さ、出世して東郷平八郎の参謀になるまで、海軍で身を立てるまでの生き方が実に見事である。
無骨に見えても実にナイーブな魂の揺れ動きも捕らえている。
江戸幕府の親戚筋であった松山藩は、佐幕派として明治の代になってからも、高知などの藩とは比べものにならない下級武士の生活を強いられる。
秋山久敬は好古と真之の父親ではあるが、松前藩の目付の配下であり、ビンボウ暮らしの子だくさん、真之が生まれたとき、兄の好古はもう10才くらいになっていた。こんなに子供が生まれたら、また寺にでも奉公に出さなければならんがと、両親は相談している。
そのとき兄の好古のことば
「あのな、おとさん、赤ん坊をお寺へやってはいかんぞな、おっつけウチが勉強してな、お豆腐ほどのお金をこしらえてあげるぞな」
こんな兄弟愛は日本の歴史の中でいつ頃まであったのであろう。おそらく明治大正、昭和の初めまでこのような兄弟愛、家族愛があったであろう。
日本が高度経済まっしぐらになった途端、急速にこのような兄弟愛が薄れてきた、と民俗学者の柳田国男は分析しているようである。
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