新規投稿者 三木伸哉
投稿日 11/1/19(水) 06:40:57
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旅順からの「坂の上の雲」28
日清・日露時代のいくさ歌
この時代多くの軍歌が生まれた。その数100曲以上という。当時の小学校教育では、五線譜をもちいないで、大きな声で元気よく教師の声につづけて歌わせたようである。70代の私にはもうなじんだ歌は少なくなった。
「敵は幾万ありとても」にはじまる、戦意高揚はつらつたる歌、
「天に代わりて不義を撃つ」の不義とはシナをさしていたが、不義の国とは日本の国ではなかっただろうか、
こんな軍歌をためらいもなく天真爛漫な表情で教えられていた時代であった。これは東京高等師範の教授の作詞による官製の歌であった。
「ここはお国を何百里、離れて遠き満州の、赤い夕日に照らされて、友は野末の墓の下」から始まる「戦友」が最も愛唱された。あの哀調を帯びた旋律、
これは小学校の教師が作詞して、同僚が作曲した。出征、露営、戦友、負傷、看護、凱旋、夕飯、勲章、実業と延々と続き、最後は村長さんになって終わる一大叙事詩の内容である。
幼い頃は上記の1番の歌詞しか知らなかったが、太平洋戦争まで歌い継がれ、戦地では、厭戦気分にさせるので、軍隊内では歌うのが禁止されていた。
昨年亡くなった森繁久弥が録音したテープが市販されていたという。
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