返信 1 三木伸哉
投稿日 11/2/10(木) 17:51:06
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司馬遼太郎はなぜ書き始めたのか
産経新聞に連載を開始したのは1968年、(昭和43年)であった。1972年に筆を擱いている。もう40年近くの前のことであり、昭和43年の時代はまだ反体制の勢力が強く、こんな時代に日露戦争を書くと言うことは、かなりの勇気のいる時代背景であった。左翼テロに狙われるのではないかと噂される時代であった。
構想を練り始めたのは連載発表の5年前、当時古本屋の棚からごっそりトラックで運ばれて行った時代だと言われている。
1960年は安保の年、樺美智子さんがデモ隊の中で命を落としたラジオ放送のアナウンスがまだ耳朶に残っているように感じる。
安保改定の推進者の岸信介のお孫さん、阿部晋三坊ちゃんは信介爺ちゃんのあぐらのなかにちょこんと座り、「アンポハンタイ」と叫んでは、信介爺ちゃんがニコニコ眺めていた写真も見たことがある。
そのような時代の民族的な情念の噴出がこの日本を覆い始めた。それは日露
戦争後の日比谷公園の焼き討ち事件に相似している。
そんな時代の日本の国全体が「アンポハンタイ」に収斂されていく時代に、司馬遼太郎は大変な違和感を感じ、不安感、不快感をもったことは、確かなようです。
明治38年に感じた民族的な情念を、彼はこの昭和40年代にも感じたに違いない。何とかしなければと言う思いが、この作品の原点ではなかろうか。
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