旅順からの「坂の上の雲」31
新規投稿者 三木伸哉  投稿日 11/2/17(木) 08:47:29  返信も含め全削除
司馬遼太郎は、家永三郎への反発が無かっただろうか 1
長い間歴史教科書を編纂してきた家永三郎は、教科書検定問題で、昭和40年代、ばっさり切られた歴史家の泰斗であった。推理小説家の森村誠一の書「731部隊」についての著書は、光文社から発刊されたが、事実に反するとして絶版を余儀なくされた。森村誠一も家永裁判について、かなりのページを割いて家永を弁護した。
家永三郎の問題にした点は何であったか
彼は歴史の教科書編纂に当たって次のように述べている。
古事記も日本書紀も神代の物語から始まっているが、「神代」の物語は勿論のこと神武天皇以後の最初の天皇数代の記事に到るまで、すべて皇室が日本を統治した後に、皇室が日本を統治することを正当化するために作り出した物語である。
天孫降臨の神話はもちろん、神武天皇以後の数代の天皇の記述は、歴史的事実でないことを、古事記、日本書紀の成立事情にあわせて記述することが、家永三郎の執筆の主眼であった。
皇国史観とは天皇統治を、世界に比類なき国体として美化する歴史観であり、明治以降の日本の国体の礎になった。
アジア、太平洋戦争についても、戦争は聖戦として美化され、日本軍の敗北や戦場での残虐行為が、すべて隠蔽されたため、大部分の国民は真相を知る事が出来ず、無謀な戦争に熱心に協力するしか他に道はない状態におかれた。
このことを家永三郎はこれからの日本国民の為に、とりわけ若者に訴えたかった。彼は節を曲げずに、己の信念を主張したのであった。

返信 1 三木伸哉  投稿日 11/2/17(木) 08:48:10  削除
家永三郎教科書の不合格の理由
以上の家永の主張に対して、簡潔にまとめると次のような不合格の理由である。
このような記述は、第2次世界大戦における我が国の立場や、行為を一方的に批判するものであって、戦争の渦中にあった我が国の立場や行為を、生徒に適切に理解させるものとは思わない。

以上のような顛末から歴史教科書の内容が、がらりと変わってしまった。センター試験でも太平洋戦争については出題されない、学校によっては昭和の暗い時代は、ほとんど触れないで終わる学校もあるという。
これが歴史教育の実態ならば、日本の若者は、中国や韓国をはじめとして東南アジアとどう付き合っていくかという近未来に、日本が近隣諸国に何をしてきたかということすら分からずに、どう接していくのであろう。
中国でも韓国でも他国から受けた歴史はきちんと教えている。その歴史を知った上で、近隣外交、東南アジア諸国との協調路線が、これからの外交の根っこになるはずである。

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