回想中国 2   私の中国の友
新規投稿者 三木伸哉  投稿日 11/3/12(土) 16:03:05  返信も含め全削除
回想中国 2       私の中国の友
回想中国 2       私の中国の友
友人は航海学博士 
 大連に到着した次の日、大連市内を案内して、私の買い物のお世話をしてくれたのが、干暁利(ウシャオリ)先生であった。大連水産学院海洋漁業副主任、遼寧省航海学会理事、航海学博士の肩書きを持つ少壮の助教授、すらりと伸びた肢体、いかにも目元が涼しげな、明眸皓歯(男性にも当てはまるような)若々しい生気が漂う好男子である。
 
この人がなにかとお世話していただくうちに、すっかり肝胆相照らし、「仲のいい友達になった」と彼は言う。私より20歳以上は若いけれど。
「三木先生は、私のお友達です。日本人のただ一人のお友達です」と宣言された。「滝廉太郎、知っていますね。荒城の月、箱根の山、いいですね。名曲ですね。」そして最後に必ず「三木先生は、私のお友達です」と付け加えて確認する。

 滝廉太郎もすっかり忘れていた作曲家であるし、「荒城の月」も「箱根の山」も2,30年歌ったこともない。名曲ではあるが、もう日本人には古色蒼然といっていいかもしれない古い歌である。
 そして北海道の然別湖に話が飛ぶ、「然別湖、あの湖は静かな環境、きれいな湖ですよね」ああ然別湖に行ったことがあるのだ、、、と当然そう考える。 しかしよく聞くと、全て書籍で調べたことであり、ビデオでもテレビの映像でも見たことはなかったのであった。

返信 1 三木伸哉  投稿日 11/3/12(土) 16:04:09  削除
 私は初対面の時、覚え立ての中国語で「私は日本人です。日本語の教師です。名前は三木伸哉と言います」と言うと、「素晴らしい中国語です。発音がはっきりしていい。とてもお上手です」と、はっきりお世辞と分かる褒め言葉。
 それからたどたどしい中国語の会話を試みるが、一言一言発音を直される。まだ基本的に発音の基礎が出来ていないので、何度も注意されるが、それでも諦めず指導してくれる。実に目元の爽やかな中国人教師である。
奥様は大連市内の勤務医、一人っ子の坊やは6年生、先日もこの家族の案内で、大連市内の夜の観光スポットを車で巡り歩いた。
 勤務医といっても、医者はすべて国家公務員、日本や欧米のような高給取りではない。一月1000元(14000円くらい)という。二人で2000元くらいの収入。これがその当時(2000年頃)の夫婦共働きの平均的な収入であった。
 日本人には奥様が医者であると聞いただけで、かなりの裕福な家庭を想像するが、内実はそうではない。
 彼は私が中国初体験の生活のあれこれに便宜を図ってくれた。その明るい風貌、明晰な日本語、一度も日本に留学したこともない彼であるが、実に流ちょうな日本語を操る。
しかし時々私の質問には答えがない。話すことはできても聞くことができないのは日本人にも共通であろう。そのような中国人はゴマンといる

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