回想中国 18「私立学校からの誘い」3no1
新規投稿者 三木伸哉  投稿日 11/5/23(月) 06:30:08  返信も含め全削除
回想中国 18「私立学校からの誘い」3
瀋陽の空港で
千歳から瀋陽まで滞空時間は約3時間、瀋陽空港に降り、税関を通った。パスポートを何度も調べる係官、怪訝そうな顔でやがて上司に連絡しているらしい。ポツンとただひとり20分ほど税関に残された。
 やがて日本語の出来る上司らしい人がやってきた。
「ビザがないのですが、中国に何をしに来られたのですか。観光ですか」
「大連で日本語の教師をしています。ビザはお世話になる学校の理事長の中国人がダイジョウブ、と言われたので、その言葉を信じていました。」と正直に話したが、まだビザの必要な時代、ビザなしで税関を通過できるわけがないのだと気が付いた。
「それではあなたが、中国の日本語の教師であることを証明できるモノがありますか」と上司が聞く。

「これですが」と出したのは、北京の中央政府が発行した「日本語教師専家証」という証明書であった。ニンマリと笑みを浮かべたように感じられたその上司が、「3000円お払いなさい。そうすれば通過してよろしいです。」

返信 1 三木伸哉  投稿日 11/5/23(月) 06:31:06  削除
助かった、ビザなしで入国できるわけはないのに、まさに「先の副将軍水戸黄門の「この印籠が目に見えないか」のような働きをもった専家証のおかげで税関を通り抜けることができた。

後日調べたら3000円はビザを自分で取得するのに必要とする金額であった。そして親切なことに、その上司の係官は、自分の車に私を乗せて、瀋陽市にある大連市行きのバス停まで送り届けてくれたのであった。行程1時間くらいの距離であった、その中国人の温情に感謝、感謝の気持ちで、大連行きのバスに乗った。

バスの車窓から農村風景を目にしながら
瀋陽は遼寧省の省都である。当時の人口はおよそ650万人、その昔奉天と呼ばれ、日清日露はもちろん、1932年9月18日に、瀋陽に近い柳条溝で、石原莞爾をはじめとする日本陸軍の将校たちが、「満州事変」を引き起こしたところである。
「9.18記念館」に往時の忌まわしい思い出が陳列されていたが、陳列品は少しずつ日本を刺激しないような配慮がされてきた。

 両側に広がる広大な大地を眺めながら、往時の日清日露の時代、そして満州事変の舞台となったこの農村を眺めていた。
鶏が放し飼いにされて餌をついばんでいる。子供たちが畑の周りで遊んでいる風景は日本では見られなくなった。この遼寧省半島を舞台に100年前当時、太平洋戦争の舞台となった時代のことに思いを巡らせていた。

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