回想中国 20(大連監獄の隣へ)の1
新規投稿者 三木伸哉  投稿日 11/5/29(日) 05:18:13  返信も含め全削除
回想中国 20(大連監獄の隣へ)
日本語科の人気の凋落
どうして日本語科に生徒が集まらないのか、もう10年前のことではあるが、その頃からはっきりとその傾向が顕れていた。日本のバブルがはじけた1990年ころから、日本経済の凋落ぶりは、日本語学習にも敏感に反応しだした。もう既に中国は日本を飛び越えてアメリカに目が向けられていた。

中国の学生は外国語を必修として学ぶが、第一希望は英語、その希望に適わなかった(定員の関係で)学生たちが日本語科などに回される。
したがって外国語の主流はなんといっても英語であり、日本語は亜流である。かつての「日本の科学技術に学べ」「日本の会社組織に学べ」ということも色褪せだした。
因みに現在の胡錦涛政権のブレーンのうち7人が、主としてアメリカの一流大学を卒業した側近で占められ、日本の大学卒業のブレーンは一人もいない。だから英語ペラペラの側近が、何の苦労もなくアメリカ政府と通訳を介さずに会談をしているのである。

マンションに帰ったら、フイジー島の彼女は、「どうでした、理事長はなんと言ってましたか、私は何処に行ったらよいのでしょう」と熱心に聞く。
もうそれどころではなかった。私と一緒にこのマンションで、再就職の心配を胸に抱えながらも、何日か仲むつまじく暮らすほか、手だてはなさそうですよと答えた。それから5日ほど経って、理事長から転居して欲しいと言われた。

返信 1 三木伸哉  投稿日 11/5/29(日) 05:19:05  削除
紹介されたのは大連監獄の隣に位置する管理幹部大学であった
理事長の紹介で別な職場を紹介されたのは、大連市の工業地帯でありいつも煤煙のたなびいているような土地、お隣には「大連監獄」看板が見えた。望楼も200M間隔で建てられている。
高い塀の上、望楼には銃をささげている衛兵が見える。ああいつかこの望楼の下を一巡してみよう。

外事処で宿舎に案内されて、これからの宿舎に入った。かなりの期間外国人教師のために、改装工事をしたという。二部屋の居室もまあまあであろう。水産学院よりは待遇も改善されたようである。
 運び込んだ持ち物を整理して明日からの授業の準備に取り掛かった。会話、精読(日本文学講座)、日本事情(日本人の特性、日本人の生活、歴史の概要などを指導すること)パソコンの検索を利用して指導内容を調べることにしよう。
 この管理幹部学院という名称は、共産党幹部を養成するという意味であるそうだが、学生たちの学力は中程度かそれ以下であった。

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