新規投稿者 三木伸哉
投稿日 11/7/15(金) 09:32:29
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回想中国30 大連の草創期といま
大連、旅順案内パンフレットの校正を頼まれて
この管理幹部学院に、たいへん日本語に堪能な教師がおり、市政府から依頼され大連市の中国語の観光案内のパンフレットを、日本語に翻訳している人がいる。つまり「大連の顔」ともなるべきパンフレットの翻訳作業である。全ページ100ページになんなんとする大部の旅行案内書である。
彼からその最終校正の仕事を依頼された。彼が翻訳した日本語の文章表現が、適切かどうかを、詳しく検討してもらいたいというのである。懇意にしている中国人の教師からの頼みであるから、念には念を入れて校正作業をした。
この観光案内のパンフレットには、日本帝国主義云々という言葉が随所にでてくる。大連は親日的な街であり、「もういいかげんそれはよして頂戴」という気持ちがあるのだが、まだその怨念の深さが、原本を作成した人にあるのかもしれない。
先日、分かったことであるが、この大連市に二つの外国人街が完成しつつある。一つは「ロシヤ人街」、もう一つは昨年まで「日本人街」といわれていたのが、いつのまにかその「日本人街」の名が消え、「南山街」という名前に変わってしまった。日本人街として顕彰するようなことをしたくないのであろう。そのこと一つ取り上げても、かつての日本の軍隊の傷の深さが窺がえる。
旅順はとりわけ、乃木将軍時代から日本軍の跳梁跋扈した街であるから、どう記載されているか気になった。この案内書の中ではその帝国主義という言葉が最も多く記載されていた。侵略者、日本帝国主義という言葉である。それを全部カットして最終校正をしようと思ったが、大連市政府の要人に分かったら、志半ばで強制送還となりかねない。
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