男4人の台湾訪問(台湾の今昔) 5
新規投稿者 三木伸哉  投稿日 11/8/27(土) 05:38:08  返信も含め全削除
高雄市の夜店を一巡して
高雄市の夜店に入る前に、市内観光の時、「蓮池漂」という池を訪れた。湖面をそよ風がわたる。遠望がきく風景、二つの塔が並んでいた。いかにも中国らしい原色ぬりの派手な虎と竜の
大きな塑像が見える。竜の口から入って、トラの口から出てくるようになっているそうで、その逆のコースをたどると、その人に不幸が訪れるというから、高齢者にもう不幸が訪れないように入口をよくよく確かめて出てきた。

その夜、高雄市の一番の夜店をぶらついた。この混雑の中では這いまわっていかなければと思うほど、人出が多い。かき氷、マンゴーの生ジュース、シシカバブー、魚介類の焼いたもの、ありとあらゆるものが調理されて売られている。
うまそうだが、添乗員の方から厳重注意があった。
「日本の人にはおなかを壊す例が多いのです。日本人向きではない夜店なので、お食べにならぬように」というではないか。免疫がないからすぐ体調を壊す観光客が多かったのであろう。

思い出すのは北京の夜店のにぎわい、そして何よりも壮大なスケールで開かれていたのは、大陸の重厚な歴史の町、開封(カイフン)の夜店であった。何千人もの中国人、観光客が入り混じって夕食にありついていた。その体験もしたのが10年前であった。
裸電球の下、ジョッキを運ぶ小姐、魚介類を焼くあの独特のむせ返るようなにおいの中で、輪になって食べたものであった。日本人は輪になって食べるのは、花見シーズンくらいではなかろうか。

返信 1 三木伸哉  投稿日 11/8/27(土) 05:38:57  削除
中国人はよく集団で食事をする、春節の2月になれば、長江以北は餃子を食べる習慣があり、餃子の会を開いては、よく作ったものであった。学生たちが餃子を作ってくれたし、大学の先生方が手の込んだ調理をしてくれた。中国の各地では夜店の探索もし、その店の食べ物も堪能できたが、今回は違った。
「日本人には口に合わないでしょう、腹を壊すでしょう」と言われたので誰も夜店の食品を口にしないようであった。しかし沖縄の若者たちはそんな忠告は聞かなかったであろう。

添乗員の方は、台北に常駐しているといっても、日本人であるし、日本人の観光客の体の保全を第一に考えて、無事に日本へ帰す役目があるのであろう。夜店見学はただ台湾人の飲み食いを傍観しながら歩き回り。小用を足すために、何度も「ツーソーザイナー?」(厠はどこですか)と聞いて回り、人ごみの中を駆け廻った記憶が残っているだけであった
厠という言葉は、日本語の「便所」という言葉の響きであり、大陸ではホテルではほとんど
「手洗間」と表記されている。日本語では古来「雪隠」という風雅な言葉もあった。
遊牧民族のトイレは、いつも外敵の襲来を気にしながら用を足しているという。まず日本のホテルほど素晴らしいトイレはない。1億円のトイレもあった。無人のピアノが演奏していた。
それも北海道の片田舎の温泉地区で、観光名所にしていた。

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