新規投稿者 三木伸哉
投稿日 11/10/3(月) 17:32:15
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男4人の台湾訪問(台湾の今昔)10
台湾出兵(日中反目の原点を探れば)
日本が近代国家になった明治維新以降、最初の海外への武力行使は台湾出兵であった。
これ以来、日清戦争、北清事変、日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵、第2次世界大戦(アジア太平洋戦争)と断続的に戦争が続いた。私が身に染みて感じているのは太平洋戦争だけである。これらの対外戦争での始まりはこの台湾出兵が皮きりである。当時の日本の人口は2300万人、1609年に薩摩藩によって琉球王国の征服ということがあったけれども、それ以来260年も海外派兵はなかった。
260年間も他国と交戦しなかったというのは世界でも珍しいことと言われている。
この台湾出兵こそが、日本と中国の反目が始まった原点であろう。この時から長い歴史の交流があった中国と、角つき合わす関係になってしまった。
出兵の原因 明治4年11月琉球藩の人民が台湾に漂着したところ、54人の日本兵が原住民に殺された。その時以来、時は流れて、1874年(明治7年)になって、「台湾の原住民はケシカラン、懲らしめてやらなければ」といって、西郷従道(つぐみち)中将が、3600人の兵士を引き連れて台湾の南に攻めた。事件があってから2年半も経ってからである。日本人はこんなに鷹揚な国民であったろうか、開戦の時期がおかしい。
経過 日本兵は南部に上陸して、付近の住民、高砂族の居住地を掃討した。
清朝政府は、「日本の武力侵入は「日清友好条約」にも反する、速やかに撤兵せよ」と厳重に抗議した、この時以来、日清関係が一挙に緊張した。日本政府は大久保利道を全権代表として、北京での交渉にあてらせた。
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