返信 1 三木伸哉
投稿日 11/12/19(月) 10:52:32
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直木賞作家であり、中国学習書も多く書かれている。「邱 永漢」さんの、台南小学校時代にでてくる話である。彼が4年生の時に級長になった。成績が断トツの一番であったからである。一つのエピソードとして載せておきたい
ところが担任教師は、彼を副級長にして、副級長を級長に格上げしたという。
「本島人(台湾人)が内地人(日本人)に、号令をかけるのはうまくないのではないか。
邱 永漢氏は生まれて初めて差別されることの体験をしたという。大変な俊秀であった彼は、日本語にも造詣が深く、日中文化交流に関する書籍も多い。
国民党の台湾接収以後の台湾人の苦しみ
51年間の日本統治時代、幼少のときかあら日本人として育てられ、日本語しかわからない子供には、大陸からの突然の蒋介石軍の出現には、おどろおどろの心境であったといわれている。
大陸から蒋介石軍がやってくる。中国の国歌をむりやり教えられた。教える先生も教わる生徒も中国語を知らない。歌の歌詞の内容もわからず練習したという。
当時日本から「キング」「少年クラブ」「幼年クラブ」などの雑誌に描かれている中国兵のことは知っていた。日本人の描く中国兵の様子であるから、プロパガンダも徹底していたのであろう。
中国兵は風紀が乱れているとか、汚いとか、身なりはぼろぼろのイメージ作りを、日本の少年向き雑誌には書いていたと思われる。日本軍の中国での蛮行、略奪、婦女凌辱などは一切書かれていなかったであろうから、台湾の少年少女は、中国兵がやってくると聞いただけでも、身の毛がよだつ思いがしたのであろう。
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