男4人の台湾訪問(台湾の今昔) 12
新規投稿者 三木伸哉  投稿日 11/12/19(月) 10:51:43  返信も含め全削除
男4人の台湾訪問(台湾の今昔) 12
「犬が去って豚が来た」 苦しみの始まった台湾人
このことばは添乗員さんからも教えられた。犬とは日本軍であり、豚とは大陸から来た蒋介石率いる膨大な軍隊や民間人を指す。日本がうるさい番犬であったが、うるさくても十分役に立った。蒋介石の引き連れてきた中国人は、豚のように食い散らかし、台湾の本省人には、たまらない風景に見えた。略奪、強姦、殺人を犯す兵隊も多く、日本が去って「バンザイ」と叫んだが、蒋介石の連れてきた軍隊は土着の台湾人には明らかな敵意を見せていた。おそらく長い間の大陸での日中戦争、その後続いた共産党との泥沼の戦いは、国民軍にも疲労困憊、へとへとにやってきた台湾であった。
日本統治時代の台湾人が「よそもの何するものぞ」の眼差しで見ていた。

一足飛びに終戦を迎える台湾の歴史の記述の仕方であるが、日本が、日本人が圧倒的に好かれるその原因を、私は長い歴史の中にあることを突き止めようとしている。
創氏改名もされ、皇民化教育もされ、日本国の兵隊として戦地に散った若者も多い。日本人を優先して、現地の台湾人を後回しにすることもあった。それなのに日本の国が世界中で一番好きな国民であり、日本人大好きなのである。


返信 1 三木伸哉  投稿日 11/12/19(月) 10:52:32  削除
直木賞作家であり、中国学習書も多く書かれている。「邱 永漢」さんの、台南小学校時代にでてくる話である。彼が4年生の時に級長になった。成績が断トツの一番であったからである。一つのエピソードとして載せておきたい
ところが担任教師は、彼を副級長にして、副級長を級長に格上げしたという。
「本島人(台湾人)が内地人(日本人)に、号令をかけるのはうまくないのではないか。
邱 永漢氏は生まれて初めて差別されることの体験をしたという。大変な俊秀であった彼は、日本語にも造詣が深く、日中文化交流に関する書籍も多い。
国民党の台湾接収以後の台湾人の苦しみ
51年間の日本統治時代、幼少のときかあら日本人として育てられ、日本語しかわからない子供には、大陸からの突然の蒋介石軍の出現には、おどろおどろの心境であったといわれている。
大陸から蒋介石軍がやってくる。中国の国歌をむりやり教えられた。教える先生も教わる生徒も中国語を知らない。歌の歌詞の内容もわからず練習したという。
当時日本から「キング」「少年クラブ」「幼年クラブ」などの雑誌に描かれている中国兵のことは知っていた。日本人の描く中国兵の様子であるから、プロパガンダも徹底していたのであろう。
中国兵は風紀が乱れているとか、汚いとか、身なりはぼろぼろのイメージ作りを、日本の少年向き雑誌には書いていたと思われる。日本軍の中国での蛮行、略奪、婦女凌辱などは一切書かれていなかったであろうから、台湾の少年少女は、中国兵がやってくると聞いただけでも、身の毛がよだつ思いがしたのであろう。

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