男4人の台湾訪問(台湾の今昔) 14
新規投稿者 三木伸哉  投稿日 11/12/21(水) 06:13:46  返信も含め全削除
男4人の台湾訪問(台湾の今昔) 14
血塗られた2,28事件
大陸から中国人がわたってきたが、それまで台湾に住んでいた人たちがあまりにも賢く、礼儀正しく、中国語ではなく日本語ばかり使っている。51年間の支配では当然、日常のことばも日本語であったのだが。それが気に食わなかった
「日本語を使ってはいけない」という取り決めを行った。しかし中国語を知っている人は一握りであった。台湾人を「日本鬼子」(リーベングイズ)とも呼ばれた。
中国人はまず台湾の優秀な若者を抹殺しようとした。台湾人から日本の陰影、51年間の統治の幻を払拭したかった。
麻雀を教えたり、賭博、女色など人間を堕落させる方途を考えた。台湾人が賢すぎたら統治しにくくなる、日本時代には一視同仁に、実力のある台湾人には要職にもつかせた。
しかしこれからは中国大陸の時代、蒋介石の息のかかった者を枢要なポジションに就かせる。そのためにはあまり賢い若者は不要と考えていた。

事件はこうして起こった。これが決定的な対立を生む事件となった。
中国人の密輸タバコ取締官が、闇煙草を売っていた中年の女性に殴るけるの暴行を加え、所持金まで奪い去った。これを見ていた日本軍隊帰りの台湾人の青年たちが、その取締官を殴った。中国人の取締官は、発砲して、その流れ弾が群衆の一人を即死させた。
そこから事件は燎原の火、噂を聞きつけた台湾人が一斉に蜂起した。蜂起した群衆に憲兵が機銃掃射、一挙におびただしい死傷者がでた。

台湾人の若者たちは台北市の放送局を占拠して、軍艦マーチ(日本統治下ではいつもこの放送を流し、日本本国と同じ大本営発表の、偽りの戦況を報告していた)青年たちは「台湾人よ立ち上がれ!いまこのようなことが起こっている」と放送を繰り返した。放送局が占拠されたのはわずかに8日間であったといわれている。

返信 1 三木伸哉  投稿日 11/12/21(水) 06:15:04  削除
台湾政府の臨時代表の陳 儀は、南京にいた蒋介石に援軍を頼み、蜂起した群衆の多さに手をこまねいていたので、いち早く掃討しなければと考え、その旨蒋介石に伝えたといわれている。3月8日援軍が到着するまで、新政府に対して台湾人の委員会は要求を取り付けていた。
・汚職官吏の処罰 ・特殊官吏である行政長官の廃止 ・省ごとの自治の実施などであった。
やがて蒋介石の援軍がやってきて、国家に対する反乱罪として、政府に対して批判的な言動を取った人たちを逮捕状も無しに連行し、裁判も無しに銃殺した。
その数1,8000人から2,8000人の間と言われ、詳しい実数はわかっていない。

事件後、台湾人には沈黙の世界がひろがった。事件後の弾圧は恐怖の政治教育であった。台湾人のインテリやエリートは、あるものは政府に擦り寄り、あるものは海外逃亡し、そうでないものは、ひたすら沈黙を守った。一般民衆は日本の統治時代と同じように、政治への無関心、日常生活に埋没していった。

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