新規投稿者 三木伸哉
投稿日 12/2/8(水) 10:53:07
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ふたたび「人間の条件」を見て 5
彼がこの作品に「俺たちにとってあの戦争は何であったのか、日本国民にとって何をもたらしたのか」という問いかけを、天皇を頂点とする軍隊の権力構造、それをとりまく資本家の欺瞞性を暴く意図があった。そしてこのむごたらしい戦争の責任を追及している。
あらすじの一部(2巻まで)
昭和十八年の満州、梶と美千子の夫婦をのせたトラックは老虎嶺鉱山に向けて走っていた。満鉄調査部勤務の時に知合い、結ばれた二人は、友人影山の勧めで労務管理の職につく梶の任地に行くのだ。道路の砂ぼこりにあおられながら職場へ向う。戦争に疑いをもち、妻を愛する梶が、召集免除を条件に自ら選んだ職場が、そこに彼を待っているはずだった。
しかし、現地人の工人達を使って苛酷な仕事を強いる鉱山の労働条件は、極度に悪かった。現場監督岡崎一味の不正に対抗し、同僚沖島や部下の現地事務員陳の助けをえて、梶の苦闘がつづく。折から上部より二割緊急増産の指令とともに、北支から六百名の捕虜が特殊工人として送りこまれてきた。半死状態の捕虜たちは電流を通じた鉄条網の中に入れられ、労働意欲をかりたてるためと称して娼婦をあてがわれた。
ここら辺の描写が事実であるかどうか、23歳のころ読んだ頃は何の違和感もなかったが、作者の日本陸軍への、そして小林正樹監督の軍隊生活を体験している両者の凄まじいまでに、軍隊という機構、国家権力と、軍隊のとりわけ陸軍内務班という怨念が、凄まじいいじめ、連帯責任、非人間的な扱いがここまで徹底していたかと、思うことが再三あった。
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