新規投稿者 阿座上洋吉
投稿日 08/7/27(日) 20:56:01
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1.受注なくして経営なし
建設業界では昔から「受注なくして経営なし」ということが言われてきた。この言い方はある意味で建設業界の一面を表現したものであり、悩みの深さを表している、そのため受注に全神経が集中する体質になっている。つまり受注があって初めて仕事がスタートするからで、受注のところに全神経が集中するのは当り前である。この全神経が集中している業者同士が、入札会場に集まった光景は、異常な雰囲気の会場になるであろう。しかも競争物件の金額が桁外れに大きく、一発勝負になる状況下の雰囲気は緊張感が漂う会場となるのである。このような商売の取引環境で行われる競争入札の現象は、想像を超える緊迫感がある市場である。しかもこの工事が受注できなければ、企業経営の継続が危うい場合はなおさらである。このような入札環境になる建設業界の市場環境は、他の商品生産をしている業界の市場経済とは全く異質なものである。
2.受注産業の受注見通し
受注産業には受注見通しという予見が重要である。受注の最終的な確認は、契約書による契約終了の時点であるが、確定契約書の前段階の仮契約書、その前段階の口頭による合意された成約、確定的な合意には至らないが、話合いの合意点が見えてきた段階等、確定的な契約を締結するまでの間に各種の段階が存在する。この点が受注予見を整理する上で非常に重要になるのである。この予見される段階の部分は民間工事における受注のケースである。このような段階を辿る取引環境のため、通常は特命による随意契約になる必然性がある。公共工事の競争入札については、割付のような行為がない限り予見ができるものではない。自社が適正価格を真剣に検討し競争相手の状況を考慮して、利益部分を最小限まで切り詰めて入札価額を見積もっても、他者の入札価額に負ける場合がある。何故、なぜそれほどまでに適正価額が通用しないのであろうか。
3.低入札が起きる要因の中には
適正な工事原価に、適正な販売費管理費を加え、更に適正な利益を加算して自社の入札価額を決めて、入札に参加しても当該企業が落札できるとは限らない。万人が認める適正な原価や利益で決定した入札金額で、落札できないとすれば、問題点はどこにあるのであろうか。その原因は自社の原価や利益が不適切なためであろうか。そこで神様に登場していただいて、神の目でみた適正な入札価額で参加したらどうだろうか。神様であっても落札できないかもしれない。市場経済のメカニズムが受注産業に不具合なためである。問題は、生産する前に過当競争が起きる競争入札に原因がある。入札会場に適正な工事原価を無視する企業が参加していれば、入札市場の適正な機能は一挙に失われる。例えば手形の支払期日が迫っている業者が、適正な工事利益を上げて企業の継続を狙う余裕はなく、目の前の手形を落とす(支払う)ことが目的となり、当面の命の継続が狙いとなってしまう。このような企業が2社でも入れば、入札市場は通常の仕組みは保たれない。受注産業の市場経済は、不特定多数の企業による自由競争に馴染みが悪く、不具合を起こす因子が容易に入り込んでしまうのである。
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