<17>注文生産が随意契約になる必然性とその課題
新規投稿者 阿座上洋吉  投稿日 08/9/21(日) 07:00:02  返信も含め全削除

1.特命による随意契約の生成過程
 注文生産の本来の形態は、生産物の必要性を感じた注文者が、生産物に対する思いを具現してくれる生産者を探すところから始まるものである。当初の段階で自分の思いを忠実に具現してくれる生産者を見つけ出すことに神経が集中する。したがって、一般的には不特定多数の生産者に広く公募する一般競争入札は、心情的には非常に難しい。これは、注文者の思いという無形のものを造形化することの難しさである。自分の自宅を建設する場合でも、実績等経験があり信頼度の高い業者であるか、知人の紹介等、建設市場の中で信頼できる業者の選定が重要となるのである。施工業者の選定が終わると、次に注文者の思いを施工業者に訴え、その想いが通じた段階ではじめて価額交渉が始まるのである。ここに注文生産が特命随契になる必然性があるのである。これを建設市場で広く公募する一般競走方式は心情的に合わない要因となっている。つまり、誰でもいいから安ければ安いほど良いという一般競争入札の仕組みは、発注者としては不可能に近い心境なのである。しかし公共調達の難しさは、特定の業者と随意契約を結ぶことは、国民感情に馴染まないのである。

2.特命と随意契約の恣意性
 信頼できる業者を選考する段階で、収集した生産者情報の中から選考する方法は、過去の経験を重視する実績主義が基本となり、実績が無い業者を選考することは難しい。この実績主義は、自分中心の情報収集の中で行われるのであるから恣意性が強く作用する。その中から1社を選考する場合は、選考者の意識で決断するのであるから、これも恣意性が強く作用する。このような恣意性が大きく入り込んでくる特命手法は、公共調達には国民感情として馴染まないのである。仮に業者の選考が終わり、確定した業者と請負金額を話合いで合意点を決める随意契約は、恣意性が入りやすく、個人所有の生産物で納得した品質や機能であれば、随意契約が十分に機能するのである。しかし、公共調達の場合は、談合や贈収賄を誘発する可能性も高く、公共調達は競争入札が基本となる理由はここにあるのである。

3.随意契約についての法体系の位地
 随意契約は、私法としての経済法に分類されるが、経済法は、商慣習の中から一般に公正妥当と思われるものを要約して法制化したものである。これを建設業界の商慣習に置き換えてみるならば、民間工事大多数の請負契約は、特命による随意契約が一般的である。つまり随意契約が一般に公正妥当と思われる商行為に相当するが、それにもかかわらず公共調達が、競争入札が原則となったのは、恣意性を嫌う民意が、随意契約より透明性の高い競争入札を求めたからに違いない。更に、公法としての刑法の「競売入札妨害、談合行為」や「贈賄」の罪は、恣意性の強い取引に集中することから、随意契約が悪の温床のような印象を与える結果となっている。この環境下では随意契約の研究は進まない。益々、透明性競争性の見地から一般競争入札の方法へ進むであろう。しかしこれでは、注文生産市場システムの不具合は一向に解決することにはならず、不具合の部分は永遠に積み残しの状態になってしまう恐れがある。

返信 ご意見やご質問をどうぞ

パスワード

一覧へ戻る】 ※最新の画面を表示するには再読み込みしてください.